スポンサーサイト
新しい記事を書く事で広告が消せます。
前から医療関係者に会うと聞いてみたくなる質問があるのだった。
それは、毎日毎日、肉体をあつかっているうちに「人間への目」が
変わってしまうんじゃないかということです。
経験ないですか?惨死の死体がでてくるドキュメンタリー映画かなんか
見て、人体ってただの赤い肉と白い骨なんだなと思い知らされる。
すると自分の体も同じように、ちぎれば肉がねじれ、骨が折れて飛び出し
内臓がはみだし動かなくなってしまう頼りない構造を持った物体
に過ぎないことを実感する。なんだかおかしな気分になってくるわけです。
ちょっと映画を見たくらいでそれですから、毎日のように肉や内臓を
みたり「処理」したりしていると、当然、人間への感覚も変わって
しまうのではないかと思えるのですね。
もしも、あなたが医者だったとして、恋人の手術をする気になれるで
しょうか?僕はできないと思うのですね。昔から、大切な人の心臓の
鼓動を聞くのも嫌なんです。頼りないかすかな鼓動に支えられている
命を感じたくない。どこかで人という生命機能体を超えた、もっと確かな
存在であることを信じたいという思いが働いているのだと思うのです。
だから、メスを手にして肉を切り開き、内臓を分けて人体構造を
確かめてしまうのはつらい作業だと思うのですね。
限りある人体組織の生命活動の仕組みを確認などしたくない・・・。
大切な人は「永遠」であると信じていたいのでしょう。
医者がどことなく患者に対して冷たく感じてしまうのも、病気を
人体の現象としてとらえる客観的な目ゆえなのでしょう。
そうでもなければ、きっと心が疲れきってとてももたない。
で、看護婦さんとそんな話をしていたのだが、そうなると聞いて
みたくなるのは「性的感覚」のことです。
毎日毎日、「人体」を治療していると「性意識」って変わって
しまうかもしれないと思ったのですね。性的なふれあいって
幻想に満ちた主観的喜びによってなりたっていますものね。
「人体」を客観視する訓練は、その意識に入りにくい
感覚を作ってしまうのではないかと思ったのです。
調子に乗っていた僕は聞いてしまいました(ーー;。
「だからもしかすると看護婦って不感症的傾向を持った人が多いという
ことはないかな?」
彼女は、ううんとしばらく考えていた。いろんなことが頭を
浮かび消えしているようだった(^^;。で、こう言ったのですね。
「そんなことはないです。それは別物ですから・・・。ちゃんとできます」
「別物」「ちゃんと」「できます」・・・(ーー;。
なるほど、仕切って区別しているのですね。そうなのかもしれない。
そこではっとする。
僕なんかがしていることは、けっこう医者に似ているところがあるかもしれない。
従者を女態という「患者」ととらえて客観的に、冷静に、心の解剖ということを
してきたのかもしれない。
だって、女性の裸が目の前にあって、好きにしていい、どうにでも
できるという状況で「一刻も早くセックス」と思わないのは、明らかに
異常ですよね?主人としての感覚は「醒めた興奮」といった感じ
なんですね、僕にとっては。高まりは高まりなのですが、それを
静かに見ている自分の目がしっかりとある。「そそられる」ということが、
直接的に射精に向かっていない。たとえばインサートしても、
それが「早く動かす」という一方向にいかない。テクニックでは
なくて、「核」の部分が決定的に違う。
僕が思っただけではなく、実際に言われたことが一度ではないのですね。
目の前にある従者の心と体を冷静に見て、判断して、効果的に翻弄して
いく・・・。これってオぺにかなり似た眼なのかもしれませんね。
その時の僕は、まともな性意識から見れば「不感症」的と言える
のだと思います。「性的感覚」の肥大は、性そのものの欲求を冷静化
していくということが言えるのかもしれません。
S男性の人、密室で高まる時間は自分の性欲を離れてみているってないで
すか?
欲求が高まりながらもそれを脇においておくって感じとか・・・。
僕が「異常」と言われても仕方ないと認めるのはそんな部分なのですね。
つまり、医者の人間観について不思議に思うのは、そのまま僕自身に
あてはまると気がついたのだった。
これはもちろん、僕の感覚であって他の人はどうなのか聞いて
みたいところなのですが・・・。
S欲求とは性的欲求?性欲求?
2004快楽の館 きまぐれショートモノローグより再掲
にほんブログ村
http://gekkourou.blog.fc2.com/tb.php/70-c0e917f9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)